単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

いつか「愛」を知れたら。

かんどーさんが愛について記事を書いていた。彼に対する愛情が丁寧に綴られている。

【長文注意!】セミとすごした夏 - 接客業はつらいよ! 人生はチキンレース! あけすけビッチかんどー日記!

 

私は「愛」を知らない。

「愛してる」とは山程言ってきたし言われてきた。その時はそう思っていた。でも、ルイと結婚してルイから「愛情が分からないから『愛してる』とは言えない。『好き』だよ」と言われた時に「え?」と思ってハッとした。私は今まで軽く「愛してる」と言ってきたけれど、それは愛ではなかったと気付いたからだ。

 

勘違いしないで欲しいが、私はかんどーさんの記事に異論を唱えたい訳ではない。この記事は、私はかんどーさんの様に人を愛した事がないという自分語りだ。

 

私は今まで、そして今も、恋人との交際や結婚は自分の為であった。「相手を幸せにしたい」と一度も思った事がない。「相手を喜ばせたい」と思った事はあるが、それは私の自己満足の為であり、自分も喜ばせて欲しいという見返りを求めたものだ。

 

私は過去の交際相手やルイの尊厳を尊重した事がない。嫌になったら別れれば良いと常に思っていた。最初から軽く付き合い軽く別れるつもりなのだから、愛なんてある訳ないのだ。

 

ルイと結婚して8年程経つが、最近うっすらと「情」を感じる。ルイの事は男として見ていない。私にとって完全に家族となっており、大切な存在だ。「愛」が何か分からないけれど、ルイの事を心配したり考えたり、何か美味しい物を食べればルイにお土産をと考えたりもする。これは「情」かなと思っている。

 

「情」と書くと悪い方向に捉えられがちだけれど、全く悪い意味ではない。今まで相手を尊重してこなかった私にとって、かなり人間らしいものであり、自分の成長を感じる。当たり前だが世の中の人々はもっと早くこういったものを得ているのだろう。

 

新婚時代はいつもルイに対して物足りなさを感じていた。新婚時代はまだ子供を持つ事を考えていたので、ルイに対して色々うるさく言った。「子供の見本になるべき父親であって欲しい」という私1人の考えにより、少しでもルイに何か不足(一般常識やマナーなど含めた諸々)があればすぐに指摘した。私の理想とする所まで達しない限りしつこく言い続けた。子供を待たないと2人で決めた時から、私はその全てをやめた。子供を待たないのだから、誰かの見本になる必要はない。ルイが恥をかいたり窮地に立たされたりすれば、ルイが自ら私に質問してくる。もしくは、あまりに一般常識から逸脱していれば私からも何か言うけれど、最低限しか言わなくなった。この時が多分、結婚して2年程経った頃。

 

その後、猫を飼い始めた。犬は飼った事があったけれど、猫を飼うのは生まれて初めてだった。ルイは生き物を飼うのが初めてだった。

その猫が2歳になった頃、また新しい猫を迎えた。先輩猫とは全く性格が違うので、2匹の猫を見ているといつまでも飽きないなと思った。

 

猫のお世話は専ら私がしている。時間的に私の方が余裕があるというのはもちろんであるが、猫と一緒に暮らしている内に「守りたい」という気持ちがフツフツと私の中で芽生えてきたからだ。これが母性なのか愛情なのか分からない。ただ守りたいと思う。猫達の為に生きているなと感じる時もある。

 

ルイとは知り合ってすぐに交際を開始し、交際3ヶ月で入籍した。だからルイの事はあまり詳しく分からない内に入籍し、この8年程の間に知っていったという感じだ。

猫達とルイと私の生活が今は順調である事に感謝し、今後「愛」を知れたら良いなと思う。年1回程度「離婚したい!」と思うのでいつどうなるか分かりませんが…。

 

死ぬまでに「愛」を知れたら良いなと思う。