単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

elveさんと千鳥ヶ淵でお花見。

今週のお題「お花見」。

 

先週、elveさんと千鳥ヶ淵へお花見に行ってきました。

毎回の事ですが、既にelveさんがオフレポを書いてくれてます。

月花見 - スナックelve 本店

 

去年待ち合わせた場所で待ち合わせ。例の如く遅れて到着する私。武道館の橋からはこんな風に写真が撮れました。

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「月が見えるよ!桜と一緒に見える、綺麗!」と言って私が撮った写真がこちら。

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月見えない。elveさんはしっかり撮れてて素晴らしい。

 

人の多さが去年の比ではない。去年は何とか歩けたのだけれど、今年は歩くのも一苦労。一箇所異常な程人が集まっている所があって「何ぞ?」と思っていたら、どうやら桜と東京タワーが一緒に写真に収められるスポットの様であった。私達はスルー。

 

千鳥ヶ淵はボートでお堀からお花見をする事も出来るらしく、ボート待ちの列はもう何なのって位の長蛇でした。私達はスルー。

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去年は寒くてダウンを着て行ったのに、今年はトレンチコートを脱いで手持ちで持ち歩く位暖かかった。夜7時過ぎ位から徐々に冷えてきたけれど、それでもトレンチコートがあれば丁度良い位。人の多さも頷けます。

 

去年はさおりたんと3人で行って、elveさんと私はその時が初顔合わせだった。その直前にブログ間でちょっとピリっとしてたのに、会ったら普通に楽しい会話をしていたので不思議であったw

あれからもう1年。遠い昔から仲良しだった様な気がする。不思議な感じ。まだ1年とも思うしもう1年とも思う。

 

夜桜を見ながら、何となくセンチメンタルな気持ちになった。ずっとずっと仲良しでいたいなと思った。ずっとずっと、おばあちゃんになってもずっとw

 

そう言えばelveさんの記事に書いてあったナンパの話!

若者達よ、後ろ姿で判断してナンパするの危険だよ!ちゃんとさり気なく前からも顔年齢をチェックしたまえ!

あの若者2人組は女性2人組を探していたのだと思うのだが、恐らく30歳前後だなと思ったので思わず「私オバさんなんで(若い人をナンパしてください」と答えたら「えっ、そんな事ないですよ」とナンパしてきた若者にまで気を遣わせてしまった( ;´Д`)

自虐したのではない!事実を伝えたかっただけなのだ(´;ω;`)

 

ところで、あのナンパは私だけではなくてelveさんもターゲットだったと思うよ?w

 

夜桜が何だか私の目にはあまりにも悲しげに映ってしまって(理由は不明)、あの日は物凄く切なくなってしまった。沢山話したい事あったのに全然口から言葉が出てこなかった。何だったんだろう。

 

またすぐに遊ぼう!

長崎旅行から戻ったら遊ぼう!!

 

 

早く結婚しろと言わない親の育て方。

タイトル詐欺になりそうだな。

とりあえず書いてみよう。

 

私は両親から「早く結婚しろ」に類する事を1回も言われた事がありません。そもそも母は私に「結婚は大変なもの。育児は大変なもの」という刷り込みを長年に渡り繰り返してきたので、結婚したいと言わない私に安堵していた様に感じます。父は私の自立を望まなかったので、本当にいつまでも私に大人になって欲しくなかった模様。自分が死んだらその後の私の人生がどうなるかとか全く考えてなかったと思う。「死ぬまでお父さんが養ってあげる」と明言された事、何回もあります。

 

そういう両親でも、私の兄が結婚して離婚して兄の結婚に対する切実な気持ちに触れ、「マリも実は結婚したいのでは?」と少しは思っていたみたいです。だけど結婚を勧めてくる事は無かった。

 

何でだろう〜何でだろう〜♪とふと思ってたんですけども、そう言えば…と思う事が1つだけありました。

私は1人の男性との交際が長続きしない上に、交際開始するとすぐに両親に紹介しては別れていたからかな?って思いました。父に「お父さんはもうマリの交際相手に会わないよ。だって結婚する訳じゃないでしょ?紹介されたらすぐ別れるし」って言われた事あったなぁ〜って思い出しまして。

 

「紹介されるという事は結婚も視野に入れてるのかな?」と考えるんでしょうね。結婚を勧めてはいないけれど、ミーハーな両親にとってはかなり大きなイベントです、結婚の挨拶って。だから多数の人と同じ様に両親も期待するみたいですが、その都度それがおじゃんになってれば期待するだけ無駄というもの。むしろ、期待させないでくれ!と考えるのかもしれません。だから「早く結婚しろ」と親にうるさく言われて嫌な気分になる人は、めちゃくちゃ沢山の人を両親に紹介しては別れたを繰り返すと良いかもしれませんよ。適当に言ってますけども

 

私と兄は偶然同じ年の同じ月に入籍したんですが、相手の紹介も偶然同じ頃だったんですよね。母は独身の子供2人の行く先を現実的に考え始めた頃だったそうで、えぇー?!ってなったと言ってました。あれよあれよと子供2人は既婚者になり、1年後には孫(私の甥っ子)までできて、ジェットコースターの様な母の人生はまだまだ続きそうですね。

穴があったら入りたいと思った事①

遠い過去の記憶だけれど、今思い出しても穴があったら入りたいと思ったり恥ずかし過ぎてジタバタしたりする事がいくつかあります。その中から「これは今なら人に話しても笑い話に出来る」と私が思った事を書いておこうと思います。いくつかあるので「①」としましたが、連続して記事を書くつもりで番号を振った訳ではなくて、シリーズみたいにしておけばタイトル付けるの楽になるなって思ったので番号を振ってみました。とりあえず今日は①。

 

私が高校1年生の頃、私はクラスに好きな男子がいました。高校に入学した私は男子に対して異常に緊張してしまい殆どどの男子とも会話出来なかったのですが、好きな男子に対しては殆どどころではなく緊張し過ぎて全てが硬直するレベルでした。

 

毎日その男子(以降Y君)の顔を見るのが楽しみで、バレない様に隠れて熱い視線を送っていました。

 

高校に入学して暫くした頃、初夏位だったと思うのですが、課外授業で八景島シーパラダイスに行く事になりました。集合場所から八景島までは皆でバスに乗り移動します。事前にくじか何かで席割りが決められました。人数の多い我が校は補助席まで利用しないとクラス全員が1台のバスに乗れなかった為、補助席までみっちり。

席割りが決まったところで気付きました、Y君は私の斜め前の席。私は友人と2人席を獲得する事が出来たので、事情を知っている友人にお願いして通路側(補助席側)に座らせてもらいました。Y君は1つ前の列の補助席。斜め後ろからならY君の顔を見る事も出来るだろうし、もうワクワクドキドキで当日を迎えました。

 

当日の朝、予定通り私は通路側の席に座ってY君が乗り込んでくるのを待っていました。補助席以外の人達が全員乗り込んだ後、補助席を開いてどんどん人が乗ってくる。何だかバタバタしてるな、何だろう?と思っていたら、何故か何故かY君が私の隣の補助席に座りました

 

おっとぉー?!

完全に私の想定外だぞー?!

嬉しいけど物凄く緊張するし、Y君の顔が見れないぞー?!

 

どうしてそうなったのかは全く分かりませんでしたが、これが凄く大きなチャンスだという事は分かりました。Y君と話すチャンス

 

バスが走り出して暫くした頃、私は緊張していないふりをして鞄からガムを取り出し、まずは窓側席の友人に1つ渡しました。そして。そして。そして!意を決して補助席の彼にガムを差し出し、ガムを勧めました

 

ガム、ひりゅ?!」

 

緊張し過ぎて声が裏返ってしまったのです…。

 

恥ずかしい!!!!

そう思いながらY君の反応を伺うと、Y君は寝ておりました。爆睡してました。

 

居ても立っても居られなくて私は窓側席の友人に目を潤ませて助けを求めたのですが、友人は気の毒そうな顔をしたまま無言でした。つら…。

 

恥ずかし過ぎて気持ちが1周してしまったのか、その後、夏休み明けにはY君の事は好きではなくなっていて、自分でもビックリしたのを覚えてます。でも女子グループと仲違いをしてしまった為にそのグループからY君やその取り巻きにバレて、1年の後半はからかわれたりしました。掃除中にドンとY君に向かって押されたり逆にY君が私に向かって押されたり。

 

声が裏返った時は本当に本当に恥ずかしかった。今すぐ穴を掘って入りたかった。でもそれより恥ずかしい事が高校卒業間近にあったので、それもその内②として書こう。

対応が雑。

先日、新しく購入した小説を自宅居間で読んでいました。本来は別の作品購入の為に本屋さんに立ち寄ったのだけども、目的の作品は見つからず、帯を見て面白そうだなと思った作品を購入しました。ハードカバーではないけれど文庫ではなく大きいサイズ。

 

ルイは日常的に私に電車書籍を勧めてくるのであまりルイの前で読みたくなかったのですが、先が気になったのでついつい居間で読んでしまいました。(ルイは物が増えて嫌だという理由で電子書籍を勧めてくる。)

 

案の定、気になったのか話し掛けてくるルイ。

「何読んでるの?」

 

私はその作品に集中したかったし、何故電子書籍にしないのかと質問されるのも嫌で、面倒臭いなぁと思いながら答えました。

 

本。

 

驚き悲しみ怒り出すルイ。

「そんな事見れば分かるよ!何の本読んでるのか聞いてるの!もういい!」と言ってプイと横を向く。

 

その後は適当に取りなして機嫌を戻したのだけど、改めて考えてみると私酷いわーと思って反省しました。

 

その小説は百貨店の外商に焦点を当てた短編小説集だったのですが、せめてそれ位は説明すれば良かったなぁ。

今後は気をつけようっと。

1日1笑い。

私は昔から涙脆く、幸せな話を聞いては泣き悲しい話を聞いては泣いていたのですが、その基準は年々どんどん下がっていって今や何かを思い出しては泣き、山口百恵秋桜」を歌っては泣き、他人の卒業式や入学式の光景を見ただけで泣く状態になっています。涙脆いのレベルではなくて少し困っている。

 

しかしそれと共に下がっていった基準があり、それにはとても助けられている。笑う基準である。

 

涙脆さに拍車がかかったのは言わずもがな自分の過去の経験から色々な事を考えたり思い出したりするからなのだが、それが笑いにも影響する。過去の自分の経験から「あるある!」と共感出来る事が増えて、培われた想像力でその情景を思い浮かべる事により、爆発的な笑いに変わる。

 

涙を流して笑ってしまう。

 

最近で言うなら、母がぷりぷりと怒りながら「お父さんといる時が一番ストレス!」と愚痴った時に大笑いしてしまった。

過去の経験から両親が離婚しない事、離婚出来ない事を分かっているからこそ大笑いしてしまったのだ。何百回?何千回?とにかく沢山こういう愚痴は聞いてきている。万が一離婚したとしても、私も自立しているので両親の好きにしたら良いと思う。大笑いする私を驚いた様子で母は見ていてどうして笑うのかと尋ねてきたが、「これから死ぬまで一緒にいる人といる時だけがストレスなんて、笑い話以外にないよ!」と私が笑いながら答えたら、母も笑いながらそうねと言っていた。

 

上記は些細な一例だけれど、ここ最近の私はとにかく笑っているので穏やかな日々に感謝している。40歳を迎えて肩の力が抜けた。とても楽になった。私は大きな目標もなく何か大きなチャレンジをするつもりもない。自分の体をメンテナンスしつつ寿命を全うしたいという気持ちはあるけれど、今死んでも良い。とにかく毎日、思い残す事がない様に生きるだけだ。

 

私の言う「思い残す事」というのは、行動は含まれない。誰かに好きだという事を伝えられずに死んだとしたら、それは私にとって思い残す事だ。好きな誰かと喧嘩して、和解出来ないままに死んでしまったらそれはとても悲しい。でも幸い今のところそういった事もなく、好きな人にはその旨伝えられているし、好きな人と喧嘩しているという状況にもない。平凡の中に安心を感じる。

 

話が逸れたけれど、笑うのはとても良い事だ。

自虐ではなく前提条件を共有したいだけ。

先日、バイト先の社員さんと雑談をしている時にある健康商品の話になって、私は自分が虚弱体質なので何とかしたいという思いから健康食品について色々調べており、その時の健康食品についてもある程度の知識がありました。

だからその中からいくつか伝えたんですが、その際に「虚弱体質なので健康食品に詳しいんですよ〜」と付け加えたんですね。そうしたら社員さんは苦笑いをしながら「自虐的ですね〜」って言ったんです。

「はて?」となりました。

 

私は自分を卑下して言った訳ではなく、「自分が虚弱体質であること」「健康食品に詳しいこと」を社員さんと情報共有したくて伝えた訳なんですが、そう言えばこういう事、過去に何回もあったなぁと思い出しました。

 

「自分の年齢」

「子供がいないこと」

「自分の過去話」

などですが、よくよく「そんなに自分を卑下しなくても…」と言われました。年齢に関しては「気にしてるの?」と言われた事もあります。確かに気にしてるかもしれません。歳を重ねたくないという事ではない。若く見られる事が多かったので、「まだ若いのに」と言われるのが凄く嫌なんです。私が中年である事を知って欲しいんです。若者ではない事を知って欲しいんです。

 

言葉の組み立て方を変えればうまく伝えられるのかなぁ。

母親からの自分に対する愛情に100%自信がある子供。

物心ついた頃から大人になるまで、自分の母親からの自分に対する愛情に対して1mmも疑いを持った事のない人は、どれ位いるのだろう?

 

一般的に、親は子供が将来的に自立出来る様に育てると思う。我が子が辛い目に遭ったり恥ずかしい目に遭ったりしない様に、もしくはそういう時に自分で対処出来る様に、親は可愛い我が子に対して心を鬼にして、間違った事をすれば叱り、必要時には導くのではないだろうか。常識を教え、社会で生きていける様に教えるのではないだろうか。

 

私は子供の頃、母にとって自分は必要ないのではないかと思った事がある。母からの愛情を大いに疑い、母にとって必要なものは「成績の良い我が子」というステイタスだけなのではないかと思っていた。だったら私じゃなくても良いではないかと思った。

その他にも何回も母からの愛情に疑いを持った。「私」を愛してくれてるという自信は最近まで持てなかった。

 

母の価値観と私の価値観に大きな違いがあるという事に気付いたのは最近だ。

タイトルの子供は母の事である。

 

母は祖母から大いに甘やかされて育てられた。祖母は母に何も教えず、叱らず、母の思う通りにさせ、祖母自身はひたすら母を可愛がった。その可愛がり方はペットと同じ。母本人がそう言っている。

祖母が怒る時は、祖母自身の感情でのみ怒る。叱るという行為は一切ない。

その為、母は祖母以外の人から大いに叩かれた。母の姉や親戚全員がその殆ど。「どうしようもない子だ」と言われ続け、母の意思は祖母以外の人には全く尊重されなかった。

 

社会に出ても、母は大層苦労をしたそうな。「常識」が分からないので、上司や同僚に嫌われていじめられた。空気を読む事も出来ないし、忖度も全く出来ない。結婚をして東京に来た母に対して婚家の人達からは「私だったら死ぬな」というレベルに風当たりが強かった。私の父の実家も特殊な環境ではあったが、それにしてもあまりに母は何も知らな過ぎた。

 

母は我が子には自分の様な苦労はさせたくないと、兄と私を厳しく育てた。

だから私は、母は祖母を嫌っているのかと思っていた。違った。母は祖母が大好きで、祖母から愛されている自信に満ち溢れた人で、祖母からの愛情に対して1mmたりとも疑いを持った事がない。

 

母と私では前提条件が違い過ぎると、最近気付いた。私は母と毎日電話で話し、月1〜2回程特段用事がなくても会う。そこには理由があるのだが、必然的に話す内容も深まってくる。その過程で分かった事だ。前提条件が違えば、それぞれの考え方にも違いが出る。

 

私は母の様な人は少数派ではないかと思っているのだが、実際のところ、タイトルの様な人はどれ位いるのだろう?