単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

母親からの自分に対する愛情に100%自信がある子供。

物心ついた頃から大人になるまで、自分の母親からの自分に対する愛情に対して1mmも疑いを持った事のない人は、どれ位いるのだろう?

 

一般的に、親は子供が将来的に自立出来る様に育てると思う。我が子が辛い目に遭ったり恥ずかしい目に遭ったりしない様に、もしくはそういう時に自分で対処出来る様に、親は可愛い我が子に対して心を鬼にして、間違った事をすれば叱り、必要時には導くのではないだろうか。常識を教え、社会で生きていける様に教えるのではないだろうか。

 

私は子供の頃、母にとって自分は必要ないのではないかと思った事がある。母からの愛情を大いに疑い、母にとって必要なものは「成績の良い我が子」というステイタスだけなのではないかと思っていた。だったら私じゃなくても良いではないかと思った。

その他にも何回も母からの愛情に疑いを持った。「私」を愛してくれてるという自信は最近まで持てなかった。

 

母の価値観と私の価値観に大きな違いがあるという事に気付いたのは最近だ。

タイトルの子供は母の事である。

 

母は祖母から大いに甘やかされて育てられた。祖母は母に何も教えず、叱らず、母の思う通りにさせ、祖母自身はひたすら母を可愛がった。その可愛がり方はペットと同じ。母本人がそう言っている。

祖母が怒る時は、祖母自身の感情でのみ怒る。叱るという行為は一切ない。

その為、母は祖母以外の人から大いに叩かれた。母の姉や親戚全員がその殆ど。「どうしようもない子だ」と言われ続け、母の意思は祖母以外の人には全く尊重されなかった。

 

社会に出ても、母は大層苦労をしたそうな。「常識」が分からないので、上司や同僚に嫌われていじめられた。空気を読む事も出来ないし、忖度も全く出来ない。結婚をして東京に来た母に対して婚家の人達からは「私だったら死ぬな」というレベルに風当たりが強かった。私の父の実家も特殊な環境ではあったが、それにしてもあまりに母は何も知らな過ぎた。

 

母は我が子には自分の様な苦労はさせたくないと、兄と私を厳しく育てた。

だから私は、母は祖母を嫌っているのかと思っていた。違った。母は祖母が大好きで、祖母から愛されている自信に満ち溢れた人で、祖母からの愛情に対して1mmたりとも疑いを持った事がない。

 

母と私では前提条件が違い過ぎると、最近気付いた。私は母と毎日電話で話し、月1〜2回程特段用事がなくても会う。そこには理由があるのだが、必然的に話す内容も深まってくる。その過程で分かった事だ。前提条件が違えば、それぞれの考え方にも違いが出る。

 

私は母の様な人は少数派ではないかと思っているのだが、実際のところ、タイトルの様な人はどれ位いるのだろう?