単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

1日1笑い。

私は昔から涙脆く、幸せな話を聞いては泣き悲しい話を聞いては泣いていたのですが、その基準は年々どんどん下がっていって今や何かを思い出しては泣き、山口百恵秋桜」を歌っては泣き、他人の卒業式や入学式の光景を見ただけで泣く状態になっています。涙脆いのレベルではなくて少し困っている。

 

しかしそれと共に下がっていった基準があり、それにはとても助けられている。笑う基準である。

 

涙脆さに拍車がかかったのは言わずもがな自分の過去の経験から色々な事を考えたり思い出したりするからなのだが、それが笑いにも影響する。過去の自分の経験から「あるある!」と共感出来る事が増えて、培われた想像力でその情景を思い浮かべる事により、爆発的な笑いに変わる。

 

涙を流して笑ってしまう。

 

最近で言うなら、母がぷりぷりと怒りながら「お父さんといる時が一番ストレス!」と愚痴った時に大笑いしてしまった。

過去の経験から両親が離婚しない事、離婚出来ない事を分かっているからこそ大笑いしてしまったのだ。何百回?何千回?とにかく沢山こういう愚痴は聞いてきている。万が一離婚したとしても、私も自立しているので両親の好きにしたら良いと思う。大笑いする私を驚いた様子で母は見ていてどうして笑うのかと尋ねてきたが、「これから死ぬまで一緒にいる人といる時だけがストレスなんて、笑い話以外にないよ!」と私が笑いながら答えたら、母も笑いながらそうねと言っていた。

 

上記は些細な一例だけれど、ここ最近の私はとにかく笑っているので穏やかな日々に感謝している。40歳を迎えて肩の力が抜けた。とても楽になった。私は大きな目標もなく何か大きなチャレンジをするつもりもない。自分の体をメンテナンスしつつ寿命を全うしたいという気持ちはあるけれど、今死んでも良い。とにかく毎日、思い残す事がない様に生きるだけだ。

 

私の言う「思い残す事」というのは、行動は含まれない。誰かに好きだという事を伝えられずに死んだとしたら、それは私にとって思い残す事だ。好きな誰かと喧嘩して、和解出来ないままに死んでしまったらそれはとても悲しい。でも幸い今のところそういった事もなく、好きな人にはその旨伝えられているし、好きな人と喧嘩しているという状況にもない。平凡の中に安心を感じる。

 

話が逸れたけれど、笑うのはとても良い事だ。