単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

7歳までに既に「人を喜ばせる為にリアクションする」を覚えていた。

自分について徒然なるままに考えている。

 

私はイキイキママ問題など、燃え上がる案件について大体「対岸の火事」だと思っている。その議題についての意見はあるけれど、「そこに自分を置いていない」のだ。

子供がいないのでもちろん産休する側となる事はないが、産休する人の穴埋めをする側になった事はある。彼女の分の仕事を請け負った。でも、全く「勘弁してくれよ」とは思わなかった。かと言って、率先して仕事を引き受けた訳でもない。何も思わなかった。「上司が配分した仕事を請け負った」としか思わなかった。産休を取った彼女を恨む気持ちもなかった。

 

今、はてな内でイキイキママ問題が勃発してるらしいのでこれを例として挙げただけで、これだけに留まる事ではない。

 

友人から結婚報告を受けて、妬んだ事がない。友人から出産報告を受けて、妬んだ事がない。その前に遡ると、友人から内定報告を受けて、妬んだ事がない。友人から彼氏出来た報告を受けて、妬んだ事がない。

前半2点については「良かったね〜」という気持ちしかなく、後半2点については「羨ましいな〜」という気持ちしかなかった。

 

私は友人とは別人なので、妬む理由がないと私は思っている。結婚はそもそも願望が薄かったという事もあるが、それ以外については、妬む理由がない。私と友人は別人だから。

 

まだまだ他にも事例はあるけれど、私が言いたいのは、この私の考え方が「共感を得にくい」という事だ。「強がってるんでしょ」「本音を言ってよ」などと言われる。最悪な場合、この延長で嫌われる。意味不明。

 

私ももう40歳になるので、過去の経験からこの事は「言わない方が良い事」だと認識しており、あまり人に言わない。でも、踏み込んできてくれる人には言うし、そういう人は色んな意見を話して聞いてくれるので本当にありがたくて好きだ。

 

話が枝葉に分かれてしまう…。

タイトルの話に行かねば。

 

で、どうして私がこの様に「人と自分を切り分けて考える」のかを考えている。昔からだったのか、大人になってからなのか。

 

で、子供の頃はどうだったかなと思い出していた時にタイトルの話を思い出した。関連があるかどうかも分からないままに書いている。

 

私はあるクリスマスの時、サンタさんへだったか親へだったか忘れたが欲しい物をリクエストした。首に巻ける長い猫のぬいぐるみ。私は、「長い猫のぬいぐるみ」を希望した。首に巻けるという事は言わなかった。子供だったので、長ければ首に巻けると思い込んでいたから。私の希望に従い、長い猫のぬいぐるみがプレゼントされた。でも、首に巻くには足りなかった。私はガッカリした。でも、ガッカリした事は言わなかった。親の前で、私は大喜びする演技をした。

 

子供の頃に住んでいた家での思い出なので、7歳までのいつかのクリスマスだ。その幼さで、私は「人を喜ばせる為に演技をする事」を覚えていた。何故なんだろう?

 

私は一体、一番最初に誰を喜ばせたいと思ったのだろう?そして、何故ガッカリした自分を親に見せなかったのだろう?

誰かを喜ばせなかった事により、自分が不利益を被ったからこそ覚えた事なのだと思うのだけど。

 

自分について考える旅は続く。