単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

母から服を譲られる時の話。

私の両親は、毒親かそうじゃないかのどちらかを当てはめるとしたら毒親だろう。

細かく書くと長くなるから小分けに色々な記事に差し込んでいるけれど、簡単に言ってしまえば「父はモラハラ、母はヒステリック」である。

 

両親は今年70歳になった。父母共に70歳。

両親が60歳になった頃から何となく感じていた事だけど、ここ最近は特に感じる。両親の老い。その要素となっている内の1つが、「判断力の鈍り」である。

 

今回は一例として、洋服の話を取り上げる。

 

私が子供の頃、日本はバブル景気で多数の人が浮ついていた。私の両親も浮ついていた。母はその時の事を振り返ってこう言っていた。「お金は湧いて出てくると思っていた。お金が尽きるなんて想像出来なかった」と。

私の両親はそれこそ湯水の様にお金を使っていた。私にもお金をかけていたけれど、自分達にもお金をかけていた。デザイナーズブランドの服で身を固め、買うだけ買って着ない服が山程あった。貴金属も山程あって、本当に売る程あったしそれらは今も母の手元にある。おもちゃみたいな大きな宝石がついた指輪が沢山。宝石が大き過ぎて、誰も本物だと思わないのだ。毎日デパートの外商から電話がかかってきて、何かしら購入していた。

 

そんな経験をした両親は、バブルが弾けてもなかなか生活レベルを下げられなかった。だから15年位前まで、借金にまみれながら娯楽を貪っていた。私もその脛をかじっていた。

 

最近、両親の老いを感じる様になり、私は両親に遺言書を書く様に言ったりエンディングノートを書く様に言ったりしてるのだけど、2人はのらりくらりとかわす。流石に実の娘に面と向かって死後の話をされるのは嫌なのか何なのか…。

 

前置きがだいぶ長くなったけれど、そういう流れで母の古い、でも物は良い洋服を一緒に整理したりしている。どれもこれも本当に物は良く、母は殆ど着ていないので、綺麗なままだ。母も捨てるのは惜しいと言う。そういう時、私は「じゃあ私が貰うよ」と言う。どんなに形が今風でなかろうと、言う。そうすると母は「着るの?昔は流行物しか着ない!と怒ってたじゃない。本当に着るの?」と聞いてくる。私は答える。

 

着るか着ないかは分からない。けれど、お母さんの手元にある限り100%着ないのであれば、少しでも可能性のある私の手元に置いておいた方が良いでしょう。」

 

私がこう答える事で、母は「そうね…そうかもね」と言って私に渡す。上記の理由で、両親が過去に購入したブランド物が大量に家にある。未使用ブランド財布が4つもあるし、重くて日常使いに向かないバッグやらブランド前面推しのバッグやら…。

メルカリ辺りで売り払おうと思っていたのだが、規定があってそれを満たしてないと売れない。売れない物もいくつもあり、労力と売上が見合わない。

 

両親の判断力の鈍りを感じてそれをカバーしてるつもりで、自ら面倒を増やしてる感がある。