偽善と善と自己満足。
昔読んだ漫画「シニカル・ヒステリー・アワー」(玖保キリコ)で、主人公達(小学生)が良い行いをしようという話になって募金活動を行うという内容があった。
先生にも許可を得て、上級生同級生下級生問わず各クラスを周り、募金のお願いをする主人公達。
あるクラスに行った時、そのクラスの男子生徒が言う。「俺、募金とか嫌いなんだよね。あんなの所詮偽善じゃん」と。
「偽善」の意味が分からない主人公は友人にその意味を問うのだけど、友人(しっかりしてる)も明確には答えられず、何て答えたかはっきりは覚えてないけども、「偽の良い行い」みたいな回答をしたと思う。
主人公は「偽のって何?良い行いに偽も本当もあるの?」と再度問うと、友人はうーんと考えこんで黙ってしまう。
それで主人公は、件の発言をした男子生徒に言う。「偽善だろうが何だろうが、自分が良い事をして相手も喜ぶんだから良いでしょ」と。男子生徒は動揺して黙ってしまう。
この漫画の主人公はツネ子と言うのだけど、物凄く性格が悪い。普段から自分の都合の良い事しか言わないのだけど、たまにこうして「うん?」と頭に残る様な事を言う。
募金は善行だと一般的に認識されている。でもそれを良い事に、詐欺を働くけしからん輩がいる事も事実で、その見極めは難しい場合が多い。
私の場合は、募金した時点で満足をしてしまう。それは「自己満足」と「善行」が重なり、私にとても満足感を与えてくれる。それならどんな募金活動であったとしても、募金さえすれば良いのでは?と自問自答するのだけど、胡散臭い人達や良くない噂のある団体には募金したくないと思ってしまう。
と言う事は、「募金する」という行為に「適切な所にきちんとお金を使ってくれる団体なり個人なりに募金したい」という願望がくっついていて、その両方が満たされた時に私は満足するのだと思う。
かと言って、募金した後にその団体や個人について調べたりしない。
この感覚は「偽善」と「善」と「自己満足」の何処に属するんだろうといつも思う。
この3つ以外にも何かあるのだろうか?
そして、ツネ子の言う通り、募金する側される側のニーズが一致すれば問題ないのでは?という疑問も答えが出ないまま20年位頭に渦巻いている。
誰か教えてくれないかな。