今週のお題は「おじいちゃん・おばあちゃん」
なので、お題に沿って書いてみようと思います。
母の実家は大阪です。そして母方の祖父母は共に大阪生まれ大阪育ちで、2人共既に故人です。
祖母は専業主婦で、家事は何でも手際良くこなしてパワフルでした。祖母に「おにぎり食べる?」って聞かれて5分後にはおにぎり10個位出てきた時は衝撃を受けましたね。もちろん私が食べると答えてから作り出したんですよ…!
私の母は料理は上手だけど手際は良くないので、祖母の手際の良さは私にとってまるで魔法でした。
祖父は毎朝スーツを着てハットを被り出勤して、夜はやはり同じ格好で帰宅するので、私はてっきりサラリーマンだと思ってました。死後に知りましたが、祖父は神主でした。
「だから神社によく行ってたのか…」と納得したのを覚えています。
大阪では、祖父母の孫は私含めて4人。女の子は私だけだったので、それはそれはもう、とても可愛がってもらいました。
父の実家は父の借金返済の為にもう売ってしまいましたが(解体してはいない様子)、父の実家は東京で、父は東京生まれ東京育ちです。
父方の祖母はとても物腰が柔らかくよく動く人でしたが、自分の意見を全く言わない人でした。私はそれに対して違和感があって、距離を取っていました。
父方の祖父は戦前の日本かと思う位、完全亭主関白を強いており、祖父の言う事で全てが決定します。祖父が本家を継いでいたので、周りの土地は全て祖父の物。子供達(嫁に行った娘は別)の一戸建ては全て祖父が建てました。毎日毎日現場に行く為、大工さん達は全く気を抜けなかったという話も聞きました。
何でも自分が主となり動いていた祖父ですが、兄弟の監督役は父(長男)に与えました。教育係が長兄ってどうなんだよ…。更に父は祖父の使いっ走りでもありました。酒好きな祖父が飲み屋さんで飲んで帰る際、父は車で迎えに行かなくてはいけません。
歪な家庭環境だなと今でも思います。
東京の祖父母には孫が21人おり、男の子は長男(父)の長男である兄と、祖父母死後に誕生した末の従弟のみ。19人が女の子。もう、私なんて全然大事にしてもらえませんよ。当たり前だけど。兄はそりゃあもう!めちゃくちゃ可愛がってもらったそうです!
こちらの2人も故人です。つまり私には祖父母はいません、現在。
ここまで書いたら、私が関西弁訛りが出る理由が少し分かった気がする。
参考記事。
何処にも属する事が出来ず何処でも差別を受ける。 - 単なる普通の変な人
今でも関西の人と話すと果てしなくリラックスしてしまいます。自然と耳が奪われる。ネイティヴの人のみです…。
うちにはおじいちゃんおばあちゃんはいないから(うちには子供がいない)、甥っ子から何かあるのかなぁと思ったり思わなかったり。相変わらず父は家出してるので、無理かなw