単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

映画『BLACK SWAN』を観て色々思い出す。

民放で『BLACK SWAN』が放送されていたので、録画して観ました。
ロードショーで観に行ってはいましたが、好きな映画は民放でも観て、細かい違いを楽しんだり理解を深めようとしてみたりします。

この映画は母の夢を押し付けられ、抑圧されたバレリーナの話です。
母子家庭の主人公は、母とバレエという狭い世界で生きていて、抑圧された自分を解放出来ず(抑圧されているという事に気付いてすらいない)苦しみ、ある事をきっかけに変わっていきます。

ネタバレ無しで書くとこんな感じでしょうか。
ハッピーエンドかどうかは、観る人に寄って分かれると思います。
民放で放送されたバージョンはショッキングなシーンをカットしてあり、その為少し分かりにくくなってるのは否めませんが、ロードショーで胃が痛くなった私にとっては良かったです。

私は幼稚園から小学校までの6年間、クラッシックバレエを習っていました。
クラッシックバレエは母が子供の頃に夢見ていた事で、女の子なら誰でも憧れるだろう、だから娘(私)に習わせてあげたい、という気持ちから、私に確認の上で通い始めました。

だがしかし。

当時の私はクラッシックバレエが何なのかすら分かっておらず、母に「習ってみる?」と聞かれた時もただ「うん」と答えたに過ぎません。
根っからのイエスマンなのですね、私は。

私は全くバレエが好きになれませんでした。
髪を長くして纏めないといけないのも嫌だったし、汗で身体に張り付くレオタードもタイツも嫌でした。
先生も厳しくて怖くて嫌だったし、何をしても注意されてる気がして嫌でした。
チュチュが硬くてチクチクするのも嫌だったし、濃いお化粧も嫌でした。
トウシューズも足が痛くて嫌でした。
つまり、全てが嫌で、楽しみは皆無でした。

でも辞めたいと言い出せずに6年間。
毎週土曜日6年間。
ある土曜日、友達と遊んでいて、バレエに行くより遊んでいたくて母に駄々をこねたら、呆気なく辞めさせてもらえたのが衝撃でした。
大人になってから母に聞いてみたら、私が嫌がっているのは気付いていた様で、それでも辞めたいか否か問うと辞めたいとは言わないので母にとって謎だった様です。だから私が駄々をこねた時は「やっぱり」と思ったそうで。
私は「通わなくてはいけない」という義務感で通っていたんですが、あれはどうしてだったんだろうか?我ながら謎です。

ピアノを小学校に入ってから習い始めるのですが、これまた母の子供の頃の夢で、例の如くイエスマンの私の「うん」の一言で開始。
でもピアノは意外に楽しくて、全く練習はしなかったけどそれなりに上達はしてそれなりに長く続きました。

今考えると、恐ろしい程の金額をかけて育てられてるんですよね、私は。
バレエにピアノに書道、家庭教師に塾3つ(一番多い時)。よくお金が続いたもんだ。いや、あれは借金だったんだよなぁ、後から考えてみると。

私は全く練習や宿題をしないとよく怒られましたが、する時間無いだろって今なら思います。
それでも当時の偏差値は三教科だけなら75位あったので、周りの苦労が目に見える様です。
あ、周りの方々が苦労して何とかしてくれたおかげで、その偏差値を保っていられたという意味です。何もしてもらえなかったら私の頭は酷い事になっていたでしょう。

それは、高校に入学以降あっという間に偏差値が落ちたという事実が物語ってます。
高校に合格してからは塾に全く通わず、赤点を取った事で慌てて塾に通い出すも間に合わず、坂を転がり落ちる様に偏差値は落ちて55位になりました。
それで「MARCHレベルに現役合格する」と豪語していたのだから我ながら呆れます。
もちろん落ちて、浪人しました。
そこら辺に色々とすったもんだがあり、父に「現役合格してもらわないとお父さんのせいと言われるから、絶対現役合格してくれ」と言われたのを今思い出しましたよ。

映画からだいぶ話が逸れましたが、この映画はキャスティングも豪華ですし観て損無し。
『レオン』の頃のナタリー・ポートマンからは想像もつかなかったなぁ、こんなに大人な女性。
ただ、ショッキング(痛々しい)なシーンがありますので、そういうのが苦手な方は避けた方が良いです。民放では全てカットされてました。

ところで夫。
評価が下がったそうで大変気落ちしており、数年後に会社を辞めると言いだしました。
何とか私がフルタイムで働ける様に頑張らねば。