単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

道徳心との対価交換。

最近、「道徳」が科目に加わるという事で一時期騒がれていましたよね。

 

世間の反応としては「遂に『道徳』心を教育として組み込まないといけないレベルまでに、日本人の心は荒廃したのか…」というものが多かった気がしますが、私は今まで道徳が科目ではなかった事に驚きました。子供の頃からずっと謎だった道徳。言葉の意味を調べてもよく分からない。曖昧模糊としているのに、時間割には「道徳」があって、先生はNHKの中学生ドラマを見せるだけ。(うちの小学校だけ?)私は当時、「道徳の授業とは、中学生ドラマを見る時間」と認識していました。

 

そんな私ももう四十路。流石に何となくは「道徳」の意味も分かります。何となくかよ!と言うツッコミは置いておこう。

 

ある日ふと思いました。

本当にある日ふと、バイトへの道中に。

 

道徳心をくすぐる(?)事によって、金銭を介入させる事なく人に何かを依頼する事が可能では?それは例えば、ボランティアだ。

 

純粋に道徳心だけで動く人はいないと思うので、そこに自己顕示欲とか自己承認欲求とかステイタスになる何かを付け加えれば、より一層依頼し易くなるのでは?金銭を介入させずに。

 

何かしらに対して強い反発心や強い共感を感じている人に対しても、道徳心をうまく操れば金銭を投入せずに駒として動かす事が可能なのでは?

 

ならば、今回、「道徳」が科目に加わった事は、国策とも考えられる。国費をいかに使わずに人を使うか。道徳心をしっかり植え付ける事で、国は将来駒として国民を動かす事が可能なのでは。

 

なんつー事をダラダラと考えてました。