単なる普通の変な人

よく変と言われるけど私は普通の人です。アイコンはあずらいちさん作画。

母をドン底に突き落とした父の一言。

母は40歳の時に、乳がんの疑いがあった為右胸を全摘した。まだ「疑いがある」というグレーゾーンにあったのに全摘出に踏み切ったのは、私達子供の存在が大きかったと思う。当時、兄は中学生で私は小学生。もちろん、まだ死にたくないという母自身の思いもあっただろうが、子供を父に託せないという気持ちが大きかったのではないか。母は父を信用していなかったから。

 

手術後、母はプールや温泉、銭湯等には行かなくなり、服装にも気をつける様になった。左右の乳房の違いが目立たない服装を選んだ。

 

そうやって時は過ぎ、私が高校生、母が40代後半の頃、父の多額の借金が発覚した。何億という借金。私達家族は持ち家の豪邸から賃貸の戸建へ引っ越した。そしてその1年後、母方の祖母が危篤で母が帰省している時に、父の浮気と共に生活費の使い込みが発覚した。借金が増えていた。

 

当たり前だが家は修羅場と化し、両親は別居をしたが、その後何年も経ってから再び同居した。

 

両親が再び同居をした頃には私は新卒社会人として働いていたのだが、ある日母から乳房再建手術の話をされた。乳房を取り戻したいという母。背中の脂肪を使う。背中に大きな傷が出来るけれど、それでも受けたいと言う。私は反対はしなかったが、不安であった。そこまでする必要があるのか?今、健康であるのに…。私はそう思っていた。母の気持ちを理解していなかった。

 

結果的には、乳房再建手術を受けて良かったと思う。母は明るくなった。全摘手術から再建手術までの10年以上、母は暗かった。情緒も不安定であった。色々な修羅場があったので不安定になるのも無理はないが、右乳房が無いという事、自分はアンバランスで欠陥人間であるという母の思い込み(あくまで母の思い込みである)が大きく影響していたと思う。乳房再建手術の後は、母は温泉に行く様になった。明るくなった母を見て、私は嬉しかった。

 

私が20代後半の頃、母の再建手術から5年位経った頃だと思うが、何故母が再建手術に踏み切ったのか聞いてみた。かなり大掛かりな手術だし、全額自費なので高額だ。メスを入れるから100%安全だとは言えない。まだ借金も残っているし、母が自分の気持ちだけで手術したとは私は思えなかった。

その時、母をドン底に突き落とした父の一言を知った。

 

父の浮気と生活費の使い込みが発覚した時に母が父を責め立てたら、父がポロリと「胸が無いのが嫌だった」とこぼしたらしい。何度も言った訳では無く、ポロリとその時に1回こぼしただけらしいが、母はその一言でドン底に突き落とされ、自分の努力は全て無駄だったのだと悟り、いつか乳房を再建したいと考えたらしい。

 

母の結婚生活はずっと試練が続いていて、ひと時も心が休まる時が無い。子供の私から見ていて本当にそう思う。天寿を全うする時が母にとって救いの時になると思う。その時が、私にとっても救いになるのか新たな試練の始まりになるのか、ふとした時に考える。